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更新日:2024年09月30日
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【学長ブログ】第3回「大衆娯楽の街だった神保町」
第1回に神保町は「学びにあふれる街」という話をしました。
今はあまり感じられませんが、昭和5年当時、神田区内には活動常設館(映画館)が9館もありました。浅草6区には到底及びませんがまさに大衆娯楽のメッカの一つでした。なかでも東洋キネマ、神田日活館、シネマパレスの3館(地図参照)は、震災前後からトーキー(音声を伴った映画)の時代を迎えたころまで東京でも名門といわれた活動写真館だったそうです。まさに、エンターテイメントの場でした。びっくりですよね。
前回話したように文京区に住んでいたことから幼少期神保町にもよく行っていました。行っていたのは本屋さんではなく3館の一つである「東洋キネマ」でした。その当時(昭和40年頃)東洋キネマは現在のさくら通りにあり、東宝系の映画館でゴジラシリーズを見に行きました。子供の頃は映画を見ることが目的でしたが、半円形のアーチ、ギザギザのアーチ、そして柱頭を持つ列柱のポーチなど、バラバラな3つの建築がくっついた、街の中でも異質で子供心に変な形の映画館だな感じていました。東洋キネマは大正11年開館?1970年まで現存していました。私が見たのは『近代建築ガイドブック』(東京建築探偵団著、鹿島出版会、昭和57年)によると、設計:小湊健二、施工:西林組、竣工:昭和3年の建築です。「この作品は、建築家や芸術家の手によらず、一電気技師の彩管*によるものであるが、そうした復興期のダダ的*熱狂の余韻を今に伝える唯一の作と言って良いだろう。」として紹介されています。この時代に誕生し生息していた市井の人たちによる看板建築の究極と言えるのではないでしょうか。残念ながら1992年に解体され現存しません。
その後は神保町交差点に1968年に開館した興行会社が取り上げない名作を中心に上映していたミニシアター「岩波ホール」のみでした。岩波ホールも残念なから惜しまれつつ2022年7月29日に閉館しました。
これで神保町のエンターテイメントの火は消えたと思われる方もいるかもしれませんが心配しないでください。2007年すずらん通りを南側に入ったところに全く新しい名画座がオープンしました。神保町シアタービルです。設計は日建設計、山梨知彦+羽鳥達也です。地下が小学館が運営する主に日本映画の旧作を上映する映画館「神保町シアター」、2階から上は吉本興業運営のお笑い劇場「神保町よしもと漫才劇場」が入った映画館と劇場のコンプレックスで、まさにエンターテーメントの玉手箱ではないでしょうか。外観がとても特徴的です。三角形の鉄板が組み合わせの構成が印象的です。この構成が、マッシブでありながらも神保町の下町にあったヒューマンなスケールをつくりつつ、ホールとしての象徴性もつくり出しています。
ぜひ、神保町に訪れ学びのまちの1要素であるエンターテーメントを体験してみてください。
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彩管:絵筆のこと。ここではこのファサードをデザインしたという意味。
ダダ的:ダダイズムのこと。ダダイズムとは1910年代に起こった芸術思想、芸術運動のこと。あらゆる既成概念(形式美、価値)を徹底的に否定した運動。
2022年度共立女子大学公開講座、
建築?デザイン学部開設記念「まちの雰囲気を継承する建物探訪―神田周辺」をもとに刊行されました
『神田?神保町の町歩き 』(著?堀啓二)をご希望の方に無償にて送付させていただきます。
※お一人様につき一冊までとさせていただきます。
ご希望の方は以下のフォームに必要事項を入力してご送信ください。
※送付対象は学外者の方に限ります。
学内の方(学生?教職員)は本館?大学企画課事務室にて配布しております。